0511

六本木の夜

100511 / days / permalink

Tortoiseのライブを見にラフォーレミュージアム六本木に。
前にも書いたけど、昨年出た「Beacons Of Ancestorship」が良すぎだったので絶対に行きたかったのです。
 
演奏は本当に素晴らしく、言語化すればするほど野暮になってしまうので表現のしようがないのだけど、リズムもメロディも、勿体つけたり、勢いづいたり、時に意表をついたり、緩急自在で美しく隙がない。
「ものすごくセックスの上手な男性に抱かれる女性の気持ちってこんな気分かしら?」と言う感じ(なんだそれ?)。
まさしく昇天。
 
何も考えられずに、ただ自分の存在が音に呑み込まれていくのをうっとりと楽しむのみ。
音に神経を研ぎすませたくって、目を開けて視覚情報を入れるのが勿体ないくらい。
この中で、1番楽しんでいるのは、絶対に俺だ!と思えるライブ。
  
大好きな「TNT」も「Charteroak Foundation」(下動画)も楽しめてあっというまの二時間弱でした。本当にあっという間。
幸福で贅沢な時間。
 

0509

新緑の季節3

100509 / days / permalink

最近の休日はほどんど公園に行っている。
もちろん目的は子供を遊ばせるためなのだけれど、一緒に遊ぶと「とっくに忘れてしまった世界の楽しさ」を気づかされることも多い。
地面落ちた影の形や、葉っぱの綺麗な色とか、水っていう物質の不思議さとか。
 
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「魔の二歳児」とはよく言ったもので、おとなしかった息子も随分と主張をするようになってきた。
 
まだ言葉が自由でないため、言語以外の、表情や手振り、身体動作と、自分に出来る色々なことをフルに使って主張する。
 
子供の言動は、その動機の純度が高い分「伝える」という目的を果たす為に、ストレートな手法・感情で表現される。社会関係の中では、その方法は幼くてアウトだけれど、「表現の原点」という点で見れば、それはとても正しくて、揺るがない強さを持ってアウトプットされている。
 
大人はつい頭や言語を入り口にして世界を認識してしまうのだけれど、子供にとっては全てが入り口であり、共感覚のようなものを感じているのかもしれない。
 
今、日比野克彦さんの「8万文字の絵」を読んでいるのだけれど、子供の姿を見て、改めてなるほどっと思うことも多い。子供に色々なことを教えられる日々。

0507

チョキチョキ

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プリントに失敗した紙をそのまま捨てられずに、ついハサミで切ったり、折ったり、落書きしたりして遊んでしまう。
 
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ついつい文字を作ってしまった。
それにしても、和文、欧文、手書き、タイプ、と種類を問わず、どうして文字に惹かれてしまうんだろう。
絵としての象形文字も、記号としての文字も、成り立ちから筆跡まで含めてすごく神秘的に感じる。
 
こちらが切り抜かれたポストカード(の失敗作)。
 
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ちなみにポストカードは独立してから欠かさず毎月1種類以上作っていて、たまにブログにも登場したり。

0506

新緑の季節2

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近所で発見。こんがらがった木。見ていて飽きない。
 
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0505

新緑の季節1

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森林公園で緑に囲まれてリフレッシュ!
強い日射しと、汗ばむ肌と、疲れを知らない子供たちのはしゃぐ声がよく似合う。
 
子供が出来てから、休日は公園ばっか行ってる。
子供と同じ目線になってみると、新鮮な発見がいっぱいある。
大人が見逃すには勿体ないくらい。

0502

休日の風景4

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戸山公園で一人で遊んでいた少女は、日本語とハングルを流暢に操った。

0501

lover soul

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好きな季節は何処に目を遣っても素敵な光景が広がっている。
好きな人がいつ見ても、素敵に見えるのと同じように。
 
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