黄色い電車

黄色い車両は幼い記憶を呼び覚ましてくれる。

黄色い車両は幼い記憶を呼び覚ましてくれる。
前日(11/10)に体験してきた飴屋法水「わたしのすがた」について。

会期中なので書こうか迷ったけれど、どうにも後を引いているので、少しだけ言語化を試みる。
F/Tのプログラムなのだけれど、それは劇場の舞台でなく、“観客はたったひとりで4箇所の「不動産」を訪れ、そこに息づく事物や生物、物質、言葉と対峙する。(公式より)”
だけれども、それは決して展示ではなく、体感型、というような生温いものでもない。
役者は紛れもなく自分であり、台本を渡されずに舞台に放り込まれる。
更に、「不動産」と実際の町並み(しかも自分の生活圏)を行き来することによって、舞台は不動産の中からどんどんと現実に浸食していき、いつの間にか自分をすっぽり包み込む。
包み込まれた中で、自分の内部になる「とある部分」を問われる。
徐々に浮き上がるテーマとともに、徐々に不安定になる自己。
この手法で追いつめ、結果これだけ大きな投げかけをしてくるとは驚愕。
しばらく後を引きそうだが、その状態は決して嫌なものではない。





子どもは些細な事でもよく笑い、落ち込んだかと思えば、あっという間に気持ちを切り返す。
そんな毎日楽しく生きるコツを、どうして大人は(自分も含め)上手く実践出来ないんだろう?

暢気な朝顔。

“ああ、もう、こんなことやって、誰が喜ぶんだよ!やめちまうか?”
そう何度も思うことはあったけど、結局毎日は地続きでしかなく、細かい積み重ねなのだ。
誰が喜ぶんだよ!って思ったって、自分がそうしたほうがいい!って思う限りは続けないとダメだね。でないと今日みたいな日は永遠にこなかったんだよな。
と、西日暮里から歩きながら思った。

一年があっという間だ。
また、部屋中にどんぐりが散乱する日々が始まる。