カラフル



上野公園に寄ったら、「ワカモノHappy fest」をやっていた。
大変に平和で素敵な空気。
寒桜も満開。

死ぬまでに一度は生で見たかった二人を同時に見れるという贅沢。
思えば苦悩した10代後半、彼らの優しい歌声に何度も慰められたっけ。

僕に原さんの魅力を教えてくれたのも、知久さんの魅力を教えてくれたのも同じ人だった。
借りたカセットテープは、何度も何度も聴いたまま、結局まだ返していない。今でも実家に保存してありますので、返却希望の際はご一報ください。
もう何年もカセットテープを再生していないけど、再生したら伸びちゃって音が変になってるはずだ。でもそういう劣化も、味として味わえる素敵な楽曲群。
ライブの感想は言うまでもない、というか言語化できるわけがない。素晴らしすぎるのだ。(もはや神がかった原さんヴォーカルの「いわしのこもりうた」とか!)
こうやって死ぬまでに一度は見たかった人が、何度も何度も見たい人になっていくという倖せ。
田中一光展を見にギンザグラフィックギャラリー(ggg)へ。
人物に説明は要らないほどの人なので割愛しますが、自分にとって田中一光の作品を今見ることは、真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」の歌詞の以下の部分がしっくりくる。
今聴く気がしないとか言ってた三、四年前
ビートルズを聴かないことで 何か新しいものを探そうとした
そして今ナツメロのように聴くあなたの声は とても優しい ♪
誰でも大きく影響を受けてしまったことから一度がむしゃらに遠ざからないと冷静にそのものの良さが分からなかったりするので、そういった距離感。
田中一光作品は凄さはよくわかるのだけど全てが全て好みな訳ではない。うっとりはしないのだけど圧倒されてしまう。どんなに日本的なモチーフ・技法(尾形光琳のようだったり)も、日本的な文法でアウトプットしていない、というか捉え方のスケールがでかくて、特に今回のようなポスター群では圧倒されてしまう。
gggの受付で、15,6の頃に図書館で何度も何度も借りて読み返した「グラフィック・パーソナリティ」という本があってときめいた。

その後はG8で浅葉克己展。豪華なはしご巡り。これまた説明の必要のない人。また、この人も自分への影響は相当なもの。うっとりしてしまう。平野甲賀さんなどにも言えることだけど、「自分の文字」を持っている人は本当に強い。その文字を使わないことすらも武器になる。
ガーディアンガーデンでひとつぼ展(今は1_WALLと言うらしい)を見て日比谷公園で余韻に浸る。日比谷公園ってよく「都会のオアシス」とか言われるけど、「オアシス」って言ってるってことは、ここが砂漠だと言う自覚はあるんだよな。

自転車で秋ヶ瀬公園へ。途中、工事しててさんざんな目にあったけど、やっぱり体を動かすのは気持ちいい。
毎年、春の兆しが見えてくると、ちょっと気分が高揚する。
この「ちょっとの高揚」目当てってだけでも、生きる価値があると思う。

写真はiphone。iphoneだけ持って行けばどうにかなるっていう身軽さはありがたい。




新宿御苑の梅は2〜3分咲きといったところ。
どうしたらこの世から暴力が消えるのか、いつもひっかかって消えない問題。
子供の未来や、その子供の未来にも存在し続けてしまうのか。
いつも答えが出ないから、なんとなく目をそらすけど、またクソみたいな事件が起きるたびに思い返すんだ。
好き嫌いはどうしたってあるだろうから、憎しみが消えないのは分かるんだけど、せめて暴力は無くなってほしい。クソみたいな事件や、それに慣れてしまう世の中なんて、もう沢山だ。

打ち合わせ終わりに、国立新美術館へ。「文化庁メディア芸術祭」。
受賞作の殆どはネットや、売り場などで見ていたのだけど、展示方法とか客層とかが見たかったのです。
お偉いさん方が、どうやって捉えているのか、とかね。(ひねくれた見方のようだけど、こういう賞があること自体、純粋に観客として楽しもう、っていうことを否定してる気がするし。)
マンガやアニメは大変に好きだし、子供の頃から、多大な影響を受けていて、それこそ世界に大いに誇って良いと思うのだけど、アート作品(笑)と並列に扱うのもどうかと思うし、そもそもやっぱりルノワール展やってる上の階で見るものではないよ。
まだ完結していないマンガとかも含めて、色々扱いがあいまいで、「メディア芸術」というあいまいな言葉を象徴しているような。
そういうのも含めて、日本は変な国だなあ…というか、未来に対して変な選択したんだなぁ。という印象でした。
*受賞作品の殆どは、言うまでも無く素晴らしいものばかりでした。
