甘い蜜
濡れた夜の花は、ちょっぴりセクシー。
濡れた夜の花は、ちょっぴりセクシー。
水面の向こう側が歪んでいる。歪んだ僕の価値観は、水面の向こうで正されればいい。
事務所の打ち合わせスペースで使用しているアンプは、型も古い上に、昔イベントをやっていたときに雑に扱われた為、ノイズだらけで音量も安定せず、どうにかかろうじて音を出しているような状態。受信状態の悪いラジオのような音質が懐かしく、なんだか憎めないやつ。
再生が危なっかしくって集中して聴けないのだけれど、レコード聴けるのはここしかないため、今なお現役で使用している。
殆どがノイズまみれの音量グラグラ。でも、ふと一瞬、それは5秒とか10秒とかなのだけれど、とても美しい音で音楽を奏でる。もともとマイナスの音質が、普通の音質、ゼロになっただけなのだけれど、ずっとノイズに塗れていた分、なんだかものすごく高音質に聴こえてしまう。(机回りで使用しているスピーカーの、光出力で安定した綺麗な音よりはるかに!)
その奇跡的なゼロを期待して、相変わらずボロアンプを愛でてしまうのはマゾっ気なのだろうか。偶然とか、あいまいとか、勘とか、ブレのあるものの方が圧倒的に好き。それはダメなものが好きと言うことでなく、要するに「人間味」が好きなのだ。
上野の街は古いものがいくつか消え、新しい物が多少増えても居るんだけど、
いつ来ても現在進行形のまま、時間が止まっている感じ。
耳鼻科に行く途中の花壇
タイフェスに行ったときの代々木公園
Tortoiseのライブを見にラフォーレミュージアム六本木に。
前にも書いたけど、昨年出た「Beacons Of Ancestorship」が良すぎだったので絶対に行きたかったのです。
演奏は本当に素晴らしく、言語化すればするほど野暮になってしまうので表現のしようがないのだけど、リズムもメロディも、勿体つけたり、勢いづいたり、時に意表をついたり、緩急自在で美しく隙がない。
「ものすごくセックスの上手な男性に抱かれる女性の気持ちってこんな気分かしら?」と言う感じ(なんだそれ?)。
まさしく昇天。
何も考えられずに、ただ自分の存在が音に呑み込まれていくのをうっとりと楽しむのみ。
音に神経を研ぎすませたくって、目を開けて視覚情報を入れるのが勿体ないくらい。
この中で、1番楽しんでいるのは、絶対に俺だ!と思えるライブ。
大好きな「TNT」も「Charteroak Foundation」(下動画)も楽しめてあっというまの二時間弱でした。本当にあっという間。
幸福で贅沢な時間。
最近の休日はほどんど公園に行っている。
もちろん目的は子供を遊ばせるためなのだけれど、一緒に遊ぶと「とっくに忘れてしまった世界の楽しさ」を気づかされることも多い。
地面落ちた影の形や、葉っぱの綺麗な色とか、水っていう物質の不思議さとか。
「魔の二歳児」とはよく言ったもので、おとなしかった息子も随分と主張をするようになってきた。
まだ言葉が自由でないため、言語以外の、表情や手振り、身体動作と、自分に出来る色々なことをフルに使って主張する。
子供の言動は、その動機の純度が高い分「伝える」という目的を果たす為に、ストレートな手法・感情で表現される。社会関係の中では、その方法は幼くてアウトだけれど、「表現の原点」という点で見れば、それはとても正しくて、揺るがない強さを持ってアウトプットされている。
大人はつい頭や言語を入り口にして世界を認識してしまうのだけれど、子供にとっては全てが入り口であり、共感覚のようなものを感じているのかもしれない。
今、日比野克彦さんの「8万文字の絵」を読んでいるのだけれど、子供の姿を見て、改めてなるほどっと思うことも多い。子供に色々なことを教えられる日々。