幸せの鐘が鳴り響き

今年も神田明神へ。(毎年同じような写真になってしまうので、今年はモノクロで。)
これで8年連続でお参りしてるらしい。
少年時代には途方も無いようだった8年という単位に、たいして驚かない自分が怖い。
東京に住んで9年目。もうここを死に場所と決める必要がありそうだ。


今年も神田明神へ。(毎年同じような写真になってしまうので、今年はモノクロで。)
これで8年連続でお参りしてるらしい。
少年時代には途方も無いようだった8年という単位に、たいして驚かない自分が怖い。
東京に住んで9年目。もうここを死に場所と決める必要がありそうだ。

昨年末書き忘れたこと。メモ代わりに(またはヨウちゃんへコメント代わりに)。
2009年、ベストアルバム。
tortoise / Beacons Of Ancestorship
他が霞むくらい、大好き!
上の曲もいいけど、「Charteroak Foundation」も絶品すぎる。
続いて
Eberg / Antidote
この曲、相当聴いた。なんか変な中毒性があるのです。
あとは、なんだろう?yo la tengoの新しいのもナイスだし、siger los「残響」も今年沢山聴いたのだけど、再生回数も考えると、相対性理論でしょうか?


モンスターとなりつつある子供に負けないようにせねば。

幸あれ。

ここ数日、twitterでの友人のツイートがきっかけで、インターネット、またはデジタルが殺したものについて考えることしばし。
iphone持つようになって、減った荷物と、増えたパスワードなど。劣化しないプロダクトの残酷さ。思い出補正の効かないクリアビジョンの価値。
便利になることが幸福である、という20世紀の幻想。
殺してしまったものは生き返らないのだよ、特に無自覚に殺したものは死骸がどこにあるかすら分からないから。
では利便さの他に結局、何が生まれるんだろう?って、ネガティブに考えていたりもしたのだけど、ここ数日立て続けに随分長いこと連絡を取っていなかった人や、記憶の彼方に流れかかっていた(失礼w)人などから連絡が来る(何かのシンクロニシティか?)。
いずれも、疎遠になってからもここのウェブは見続けてくれていたり、偶然ネットサーフィンでたどり着いたり。
大人は厄介だから、お互いに連絡取りたいと思っていても、時間が経っていたりすると何を話して良いかも分からないため、よほどの用件がない限りなかなか電話も出来ない。
その点メールなら、相手の時間を取ることもないし携帯からでもウェブ上からでも気軽にさくっと送れるし、受け取る側もいつ返信しても言い訳だから、どんなに久しぶりの連絡でも迷惑がかかることは殆どない。
インターネット様々!万歳!とネガティブな感傷を一蹴。
でも、この「気軽にさくっと」が気づかないうちに何かを殺していたりするんだよ。

言語化していないと、見えない風景について。

12月も後半になると、ああ、年末だなぁ。と正月のことや故郷の御節等を思い浮かべ、日本人であることを
強烈に意識するのだけど、そこにカウンターパンチをするようにクリスマスがやってくる。
商業主義の祭典と唾を吐いていた行事も、子供が出来ると、少し目尻を下げてプレゼント贈る喜びを噛み締めていたり。
毎年毎年、暮れては明けて、全く理解出来なかった価値観が次々と僕を塗り替えるから、
言語化していないと、見えない風景について真剣に向き合ってみよう。