新緑の季節2
近所で発見。こんがらがった木。見ていて飽きない。
近所で発見。こんがらがった木。見ていて飽きない。
戸山公園で一人で遊んでいた少女は、日本語とハングルを流暢に操った。
好きな季節は何処に目を遣っても素敵な光景が広がっている。
好きな人がいつ見ても、素敵に見えるのと同じように。
懐かしい人と浅草で呑む。
久しぶりの再会を前に、高鳴る鼓動に勿体をつけるように、上野から徒歩で向かう。
稲荷町、合羽橋、田原町、と歩きながら、初めて会った時のことなどを思い出したり。
日の沈みかけた煮込み横町の軒先で再会の杯を酌み交わす。
吃驚するくらい変わってなくって、昔と同じく、楽しくって仕方ない時間。
カウンターに移り、すっかり日も暮れてからも更に呑んだくれ、「昔に戻ったみたい」ではなく、「今なお昔と何も変わっていないんだ」と確認して胸が熱くなる。
店を出てフラフラゲラゲラと浅草の街を散歩。
うん、この空気。今なお何も変わらない、この空気。
この日燗にして呑んだ神亀は、今まで呑んだ中で一番美味かった。酒の美味さとは、銘柄・温度だけでなく、呑む相手やシチュエーションによって幾重にも広がっていく、という話。
桜の舞う街道を走り抜けて、祖父の見舞いに地元まで。
満開の東川の川縁では、陽気につられてノープランで出かけて来た近所の人達がお花見。
やっぱり花見ってのは何日も前から計画してやるものではなく、満開で温かい日に気分に任せてやるのが正解。
そういう意味では立派な桜の近所に住むってのは、コンビニが近くにあったり駅から近かったりするのとは別次元の贅沢。
石神井川沿いの桜を観に行く。
前にここを歩いた時は、息子はまだ妻のお腹の中だった。
当たり前のことだけど、季節の数だけ、僕らの生活も変わっていく。
お弁当を持って、花見がてら近所の公園に。
天候、気温ともに申し分無く、長閑で平和な休日。
桜満開の公園で昼食後に遊んでいたら、近所の教会のスタッフが風船を配りに来た。
風船を抱えた子供たちの歓声と、花見で酔っぱらう大人たちの笑い声。
まだまだ世界は美しい。