1003

ラブレター

121003 / days

ふと。
 
ここに文字を綴ることの意味について。
その意味なぞ、もう無いのだという可能性も含めて考えてみたり。
 
ここのブログも長いことリアルタイムで更新していなく、溜まった写真や情報の整理(それもまた気まぐれだけど)の場と化してしまっている。
それでもなお、日々見に来てくれる人はどのくらい居るのだろう?
 
誰にも縛られることなく、最も自由に発信できる場として続けているけれど、気分そのままに発信、というのはまずない。
それはきっとここに書くことは 残る という前提で書いているから。
そういう意味ではきっとtwitterの方が自由気ままにその場の気分で発信しているように思う。だけれどもtwitterはフォローしてくれる人がいて、その場の気分を共有(悪い意味でも)するため、基本的にネガティブな思考や不穏な空気は持ち込まないと決めている。
嘘はつかないけど、隠し事は少しする、という具合にね。
 
もちろん、ここでも読まれる前提で書いているので(全くの他人でない、家族や仲間も読むし、いつでも読み返せるので)、本音をすべてさらけ出しているわけではない。
それなりに言葉を選び、人を傷つけないようにするし、不安を悟られないような知らん顔もする。
 
しかし、ここでやりたい(書きたい)のは、やはり「誰かに何かを伝える」ということなんだろうな。
そしてその何かは自分の中からのラブレターやSOSなのかもしれない。
 
暗号を張り巡らせ、分かる人にしか分からないメッセージ。
それは特定の誰かに向けているものではなく、自分でも上手く言い表せないこの気持ち、もしかして共有できる人、居るかな?(いたらいいな?)という祈りの様なもの。
そして、その祈りは届く前提で書いている。
 
今日のこのテキストは、書く意味について綴りながら、綴っているうちにその答えが出るんじゃないかな?と思って書き始めた。
そしてやはり言語化する作業の中にその答えはあった。
 
このラブレター、あなたに届くといいな。