毎日は続いてく
“ああ、もう、こんなことやって、誰が喜ぶんだよ!やめちまうか?”
そう何度も思うことはあったけど、結局毎日は地続きでしかなく、細かい積み重ねなのだ。
誰が喜ぶんだよ!って思ったって、自分がそうしたほうがいい!って思う限りは続けないとダメだね。でないと今日みたいな日は永遠にこなかったんだよな。
と、西日暮里から歩きながら思った。
“ああ、もう、こんなことやって、誰が喜ぶんだよ!やめちまうか?”
そう何度も思うことはあったけど、結局毎日は地続きでしかなく、細かい積み重ねなのだ。
誰が喜ぶんだよ!って思ったって、自分がそうしたほうがいい!って思う限りは続けないとダメだね。でないと今日みたいな日は永遠にこなかったんだよな。
と、西日暮里から歩きながら思った。
一年があっという間だ。
また、部屋中にどんぐりが散乱する日々が始まる。
この何処にでもある感じが結構好き。
自宅も事務所も都電沿いにあるため、すっかり都電好きになってきた我が家にうってつけのイベント、「都電荒川線の日」に行ってきた。
大塚に越してきた当初は全く利用しなかった荒川線も、最近は便利な使い方を覚えて結構利用している。(代わりに丸ノ内線を使わなくなってきた)
のっぽんとビリケンがお出迎え。(なんでビリケンかと言うと、今、阪堺電車の車両が荒川線を走っていて、逆に荒川線の車両も阪堺電車を走っているらしい)
都電も見放題な上、車庫内も見学出来る。
更に息子の最近のブーム、「踏切」
でも、このイベントで凄まじかったのは、電車でも、電車目当ての子どもたちでもなく、所謂鉄ちゃんと呼ばれる方々の熱意と執念。また、それに応える職員の熱気。
家族向けのフレンドリー企画かと思いきや、ディープな世界も広がっていて一石二鳥?の社会科見学でした。
「こどものにわ」を観に東京都現代美術館へ。
子どもを連れて行ける体感型のアートイベント、ということで息子は今回美術館デビュー。
作品は、子どもも一緒に楽しめるものもあえば、作り手の自己満足というか自己完結しすぎているものあったりで、子どもの反応も大人の反応(ここでは純粋な大人の反応というのはほとんどなくて、保護者としての反応なんだけどね)も区々。
難しいな、と思うのは「子どもにアートを体感させる」という意味そのもの。子どもを楽しませる、という意味で見れば、幼児番組や、公園の珍しい遊具のほうが喜ばれるだろうし、それこそ落ち葉やどんぐりで大喜びする子どもの感性に対して何かを投げかけるというのはどういうことなんだろう?
幸い飽きずにはしゃぎながら回れたけれど、ちょっと中途半端だった印象が残った。理由は前述の難しさにあるのかな? 特に子どもに向けずとも、以前行った横浜トリエンナーレなんかでは喜んでた子どもは沢山いたし、彫刻の森なども、充分に体感型。さすれば、都市の美術館という設定が難しかったのかもしれない。
*もちろん、すごく楽しめた作品もありました。
コレがすべてにおいて、最優先。というような風情の無い道路建設が、大変に憎いのだ。
黄色系の色が綺麗にスキャン出来るスキャナが欲しい。情報求む。