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「小指の思い出」の思い出

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時間の合間で「小指の思い出」を観てきた。

学生の頃、すり切れるほど観た遊民社のVHSたちの中で、この作品だけは(小説版も含め)今ひとつハマらなかった。あれから随分時間経っているから今ならどうかな?しかも若い気鋭の演出家とのことだし……という興味本位に負けての観劇でした。
 
うすうす予感はしていたのだけど、つい遊民社との〝比較〟で観てしまうので全然客観視できず。これは作り手に申し訳ないなあと思いつつも、結構そういうお客さんいっぱいなんじゃないかな?とも思ったり。
とある役者2人の科白が高音で聞き取りずらく耳障りに感じてしまい、かなかなか科白が響かず(だいたい戯曲を覚えていたので意味不明にはならなかったけど)しんどかった。それも、この科白、本来なら凄くいい感じなのに!という比較だったりもするのでたちが悪い(笑)。
 
遊民社のように科白が軽やかに駆け抜けない分、重みを増す科白というのは多々あったし、そういう地に足つけた言い回しが戯曲の別の輪郭を浮かび上がらせていたりもした。ここら辺は戯曲の魅力の再発見として嬉しいところ。とことん難解になった部分と分かりやすくなった部分など、上演中(または終演後)自分にとってのこの戯曲の輪郭が作り替えられていく。
 
チラシに「破格の才能で注目される…」と書かれていた演出家(こう書かれちゃうのも同情しますが)に期待しすぎていたこともあり、全体的には期待はずれでした(音楽は単体でとても良かったし、キラリと光る演出も多々ありましたが)。ただし、誰がやってもやりづらいであろう戯曲にちゃんと挑んでいた姿勢はとても好印象だし、戯曲の寿命を延ばしたとも思う。命を与えた、と言っても良いかもしれない。こうなってくると他の演出家での上演も見てみたくなるし(勿論野田さんでの再演も含め)。
 
なんだかんだ好き勝手言っても、平日昼間にまるで非日常の、劇空間に入ることはとてもエキサイティングな行為で楽しかったです。芝居はもっと気楽に観るべきだし、観られるべきだとも思うので、そう言う意味ではまたフラリと劇場に寄ってはあーだこーだ言いたいです。