ひとしきり校庭の遊具を堪能してから、体育館で投票、といういつもの流れ。
そして校庭の不思議な遊具(でもこれ使って遊んだら楽しそう)。
逆側はこんな感じ。これまた不思議。
ここの校庭の遊具のコンセプトがさっぱり分からない。
近所で、イデビアン・クルー「挑発スタア」千秋楽を観る。
観てみたかった団体が近所に来たから行ってみた、という訳だ。
客入れの手際の悪さや、開演前が演劇部同窓会のような空気(さすがにほとんどなかったけど運悪く近くの座席でそんな感じになってた)になる、お客の殆どが演劇関係者、という小劇場にありがちなあれこれにうんざりしながら、静かに開演を待った。
よく客席で客電落ちるギリギリまで喋っている人いるけど、僕にはあの心理が理解出来ない。基本的にあまり人と一緒に行かないし、行ったとしても喋るのはロビーまで。客席ではいっさい喋らない。
というか、喋れないのだ。神聖な舞台を前にすると、期待と興奮と、畏怖にも似た何か神妙な気持ちが入り交じって、言葉を失ってしまう。劇場に棲む何かと対峙してるような。
忙しい時期の、しかも徹夜明けに行ったので、つまらなかったらどうしてくれようかと思っていたけどその心配は無用だった。とても良かった。
なんて簡単に書くと、小学生の感想文みたいだけど、いいなぁ、って思えるものにはほとんどは理由はなく、言語なんか追いついてこないのだから仕方ない。僕が舞台の上に望むものの殆どがあった、というのは言い過ぎか?
こんなに脳みそ揺さぶられたのは、結構久しぶりだった。ここのところ疲れていたけど、励みにもなったし、モチベーションも上がった。
これを機に少し活動休止らしいので、観れて本当に良かった。
しばらく観れないので、今度は(これまた一度観てみたかった)パパ・タラフマラでも観ようかな。これまた12月にご近所でやるみたいだし。その前にF/T(秋)BATIKやで飴屋演出の芝居もあったり(身体表現系はハマるとクセになりそう)。
舞台は、チェックしだすと、追いつかないくらい観たいものがあるんだけど、日々普通に生活してる限り、その情報ってほとんど興味ない人には届かないんだよなぁ。それも舞台の問題点。
どうも(ダンスとかも含めて)演劇界は自分が芝居やってた頃と同じ課題が、今も山積み。魅力や可能性は広がってると思うから、希望はいっぱいあるけどね。
*8/28追記)まだ、興奮冷めやまず。最近外部の刺激にあまり心動くことがなかったから、自身驚いている。
こういう、「恋に落ちたような高鳴り」を感じるのは、本当に久しぶりで嬉しい。
鈍った体を動かしに、自転車で彩湖まで。
水面見ながら考え事するのって集中出来ていいんだよな。昔、ほぼ毎日航空公園の池の水面見ながら、学校の課題や、芝居の物語考えたりしてた。
東京に住んでいると、こういう広い空が本当にありがたく思える。
新宿屋上庭園。
夏休みの終わりは、やはり宿題に溢れていた。
何気なく点いていたテレビの中からの問いかけに、僕は返す言葉を持っていない。
明日からどう生きれば正解なのだろう?
勿論、回答時間なんか与えてもらえないから、目の前の課題に向かうだけなのだけれど。
たまに出かける小さな小さな遊園地。
都電ですぐ行けるし、来場者が全く気取っていない(デートでくるような洒落っ気がない)ので散歩気分でふらり。